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私の代である、昭和30年9月にこの仕事を始めました。その前は、親父は木炭をやっていました。久慈はもともと広葉樹が多いので、炭焼きが沢山いました。この仕事をして私も今年で 51年になります。その頃は建築材というより箱ばっかり作っていました。津軽のりんご箱、魚箱専門でそのころは本当に忙しくて。
赤松はリンゴ箱、杉は軽いので魚箱にしていました。今魚箱は、ほとんど発泡スチロールにとって変わってしまいました。その後、昭和45〜50年のあたりから建築材に移っていきました。それも、ムク材から集成へと変わっていきました。
松を切るの は今頃、4〜5月の木が乾燥していい木材が取れるんです。
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夏場どうしても木が活発になって、水分を多く吸っているので、切ると黒くなってくるんです。本当は、冬の寒い時期に切るのが一番良いんです。昔は寒切しかしなかったんです。冬に切って皮を剥いて、製材して自然乾燥させる。今は、人口乾燥で、昨日まで山にあった木をすぐ製品にしてしまう。本当に変わったもんだ。
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本当は針葉樹だけ植えていると山が荒れるんです。針葉樹を切った後、楢、栗などの広葉樹を植えると広葉樹の葉が落ちてそれが堆肥になって山が肥えます。それがひとつの山の自然なサイクルになっています。岩手は木炭が有名で、特にこのあたりの広葉樹は木炭になったり、名物のしいたけの原木になります。ですから続けて同じ木を植える事はありません。また、土砂崩れなどの災害を防ぐために、根の張りが良くて強い広葉樹を混ぜて植えたりもします。実は久慈は海も近くて山の植林は海も育てています。山に木を植えないと、山の水が直接海に流れ込んで漁業に悪い影響を与えます。青森もホタテの養殖は有名ですけど同じだと思います。
[後記]
親子三代、山の仕事に関わって働くということ、仕事ということがどういうことか再確認できました。自分も15歳で職人の世界に飛び込み、見よう見まねで仕事を会得してきました。誰も教えてくれないそれが修行の場でした。そして今思うのは仕事の報酬は仕事だということです。時代がどんなに変わってもその本質は変わらないのだと再確認できました。
取り巻く環境が変わる時代。そして世代が移り変わり現実は変わって見えるが、本質は何も変わっていない。深く考えるとそこに気がつく。今あるものに一生懸命取り組むだけだ。努力そして経験そのものが人生だし、それが仕事の賞賛である。